正史三国志と三国志演義の違いと特徴
単に『三国志』といっても、実は正史『三国志』、『三国志演義』があります。
※日本では通例『三国志演義』と呼ばれていますが、中国では『三国演義』あるいは『三国志通俗演義』と呼ばれています。
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【正史『三国志』】
まず正史『三国志』ですが、こちらは正式な中国の歴史書であり西暦二九七年ごろに陳寿(ちんじゅ)によって書かれました。
正史『三国志』は紀伝体に則って、魏・蜀・呉の国ごと人物ごとに魏書三十巻、蜀書十五、呉書二十巻の中にまとめられています。
また、作者である陳寿は元々「蜀」に使えていたのですが、その後「魏」の後身ともいえる晋に仕え「三国志」を書き上げるていきます。そのため、「魏」を正統王朝としてその他の蜀・呉を地方政権として扱うような形がみられます。
こうしてつくられた、正史『三国志』はその時代を知る基本的な資料として高く評価されていきます。
ただ、その文章は史実に忠実にあっさり簡潔なものだったため、5世紀に宋の文帝が南朝宋の歴史家である裴松之(はいしょうし)に正史『三国志』に注釈をつけるように命じました。
こうして、裴松之は膨大な史料のなかから三国志関係の史料を再び拾い集め、三国志に関する異説や陳寿が歴史としては認められないと切り捨てたものを、注釈として付け加えていきました。
出来上がったものは読み物としても大変面白いと文帝も絶賛し、その後講談などでにとりあげられ民衆に広く広がっていきました。
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【三国志演義】
その後、これらの講談師の話をまとめ上げて、「全相三国志平話」が元の至治年間に福建省で出版されました。
この本は、本来正統なはずである魏の曹操を悪玉とし、蜀の劉備を善玉として語られています。
この「全相三国志平話」と当時の名士の言行を集めた「世説新語」を参考にし、正史『三国志』をベースにしながら小説として「三国志演義」をまとめあげたのが元末から明初頭にかけて活躍した歴史家・羅貫中です。
「三国志演義」は「七実三虚(七分実事、三分虚構)」と言われています。
蜀の劉備を正当な漢王朝の後継者という視点で書いているため、正史『三国志』をベースにしながらも主人公の蜀をより有利に書かれているところも多く見られます。
たとえば、赤壁の戦いのなかで10万本の矢を集めたるというシーンがありますが、正史では孫権がおこなっているのに対し、演義では諸葛亮がやったことになっていたりしますし、華雄を斬ったのも正史では孫堅軍であるものを関羽が斬ったとされています。
確かに史実どおりではないにしても、今これほどまでに後々まで多くの人々に親しまれているのはこの三国志演義の様々な工夫と創意が加えられたことによるのかもしれません。
※紀伝体とは
「史記」の著者、司馬遷が始めた手法で、中国の歴史書の伝統的なスタイル。
世界の中心たる皇帝の伝記を「本紀」、そして皇帝に仕えた多くの家臣の中で特に特徴がある人物の伝記を「列伝」としてまとめてるやりかた。
※章回小説とは
全体を細かく章もしくは回にわけ、それぞれの物語の最後に新しい人物やストーリーを入れて次に続けていくやりかた。
※日本では通例『三国志演義』と呼ばれていますが、中国では『三国演義』あるいは『三国志通俗演義』と呼ばれています。
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【正史『三国志』】
まず正史『三国志』ですが、こちらは正式な中国の歴史書であり西暦二九七年ごろに陳寿(ちんじゅ)によって書かれました。
正史『三国志』は紀伝体に則って、魏・蜀・呉の国ごと人物ごとに魏書三十巻、蜀書十五、呉書二十巻の中にまとめられています。
また、作者である陳寿は元々「蜀」に使えていたのですが、その後「魏」の後身ともいえる晋に仕え「三国志」を書き上げるていきます。そのため、「魏」を正統王朝としてその他の蜀・呉を地方政権として扱うような形がみられます。
こうしてつくられた、正史『三国志』はその時代を知る基本的な資料として高く評価されていきます。
ただ、その文章は史実に忠実にあっさり簡潔なものだったため、5世紀に宋の文帝が南朝宋の歴史家である裴松之(はいしょうし)に正史『三国志』に注釈をつけるように命じました。
こうして、裴松之は膨大な史料のなかから三国志関係の史料を再び拾い集め、三国志に関する異説や陳寿が歴史としては認められないと切り捨てたものを、注釈として付け加えていきました。
出来上がったものは読み物としても大変面白いと文帝も絶賛し、その後講談などでにとりあげられ民衆に広く広がっていきました。
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【三国志演義】
その後、これらの講談師の話をまとめ上げて、「全相三国志平話」が元の至治年間に福建省で出版されました。
この本は、本来正統なはずである魏の曹操を悪玉とし、蜀の劉備を善玉として語られています。
この「全相三国志平話」と当時の名士の言行を集めた「世説新語」を参考にし、正史『三国志』をベースにしながら小説として「三国志演義」をまとめあげたのが元末から明初頭にかけて活躍した歴史家・羅貫中です。
「三国志演義」は「七実三虚(七分実事、三分虚構)」と言われています。
蜀の劉備を正当な漢王朝の後継者という視点で書いているため、正史『三国志』をベースにしながらも主人公の蜀をより有利に書かれているところも多く見られます。
たとえば、赤壁の戦いのなかで10万本の矢を集めたるというシーンがありますが、正史では孫権がおこなっているのに対し、演義では諸葛亮がやったことになっていたりしますし、華雄を斬ったのも正史では孫堅軍であるものを関羽が斬ったとされています。
確かに史実どおりではないにしても、今これほどまでに後々まで多くの人々に親しまれているのはこの三国志演義の様々な工夫と創意が加えられたことによるのかもしれません。
| 正史「三国志」 | 「三国志演義」 | |
| 著者 | 陳寿、裴松之(注釈) | 羅貫中 |
| 成立時期 | 陳寿の「三国志」/3世紀後半 裴松之の注釈/5世紀 |
14世紀 |
| 構成 | 魏書 30巻、蜀書15巻、呉書20巻 全65巻 |
全120回 |
| 特徴 | ・魏を正統とする ・中国の正式な歴史書 ・紀伝体のスタイル |
・蜀を正統とする ・歴史小説 ・章回小説のスタイル |
※紀伝体とは
「史記」の著者、司馬遷が始めた手法で、中国の歴史書の伝統的なスタイル。
世界の中心たる皇帝の伝記を「本紀」、そして皇帝に仕えた多くの家臣の中で特に特徴がある人物の伝記を「列伝」としてまとめてるやりかた。
※章回小説とは
全体を細かく章もしくは回にわけ、それぞれの物語の最後に新しい人物やストーリーを入れて次に続けていくやりかた。
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